★つれづれノート★

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★hosつれづれ編★

★★2001年8月★★


8月に入ると、記憶が途切れ途切れになってきます。
覚えているのは、毎年8月の第1土日に行っているキャンプで、それが終わって片付けを半日して、四国に出張で出かけたのを覚えています。
出張は、本来仕事のある日に行くのですが、その時は自覚症状あったので、一日早く行って休もうと考えていました。
確か、ついてホテルで頭が痛くて苦しんだのを覚えています。
服を着たまま、ベットではなく、床で寝てました。
2日間の仕事をどうこなしたか覚えておらず、仕事を早めに終えて戻ってきています。その日の夜には、友人らと演劇を見た後さらに夜中まで飲みましたが、その時も途中から調子が悪くなり、先にタクシーで帰りました。
ここまでが覚えている最後の記憶です。タクシーでどうやって帰ったのかは、覚えていないです。

ここからは聞いた話です・・
次の日(倒れる前日)、母親が里帰りするので、羽田に見送りに行ったそうです。
その足で、実家に帰ったそうです。
次の日(倒れた日)、友人宅まで出かけて行き、そこで話をしているうちに、「眠たい」と言い出して、眠ってしまったそうです。
失禁もしたので、友人と、その両親もおかしいと感じ、救急車を呼び、近くの病院にいくことになったそうです。
たまたま、近くで仕事をしていた弟がすぐに駆けつけ、その連絡で妹たちや両親がその日の夜には駆けつけることになったそうです。

集中治療室に入って、すぐには手術にはならなかったそうです。それだけ脳の腫れを引くのを待っていたともいえます。実際、手術は1ヶ月後の9月中旬でした。
後に、写真を見せてもらいましたが、直後の写真は、どこが脳の基幹かがわからないほど膨れていました。。
当時、髪の毛が腰まであったのですが、すぐに坊主にされ、脳圧を下げる為に、頭に数センチの管を入れたそうです。

脳圧を上げないために、ほとんど脳死に近いような状態にして、血液だけを循環させるような状態だったそうです。
体の両サイドにいろいろなものがぶら下がっていたそうです。また、心動だけでなく、脳波を捕らえる装置も置かれて、体の状態を計測していたそうです。
ただ、手術が終わるまでは、脳波はいつも底にあって、呼びかけても聞こえない状態と同じだったと感じたそうです。



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