★つれづれノート★

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★hosつれづれ編★

★★2001年10月★★


10月ともなると、だいぶ記憶もしっかりしてきます。
ナース横の部屋から一般病室に移ったころから、退院の準備が進んでいました。
両親達にとっては、横浜から多摩まではやはり遠いので、近い土地でのリハビリを希望していました。
そのため、同じ横浜にある、脳外科専門の病院を探しだしたそうです。
そこで、両親と一緒に一度検査にいくことになり、多摩から横浜に車に乗って約2時間、診察にいきました。
行くだけで疲れてしまったため、待合室にいることができず、中のベットで寝かせて待たせてもらいました。
「うちで引き受けましょう」と言ってもらえた時は、私も両親も安心しました。
ただ、戻る時もまた2時間。かなり疲れたのを覚えています。

もどってから退院まで、4日間程度だったかと思います。
次の病院がリハビリに力を入れているというのと、自分が動けない悔しさから、ナースの人に内緒で時々歩く自主練習を始めていました。
まだ、歩行器をつけていなければ、まともに歩けなかったのですが、階段にいって、登り降りの練習を勝手にやり始めていました。
今から思えばかなり危険だったと思います。

退院前日、両親から面会謝絶が取れた事と、病院を替わることを会社に伝えたためか、次々と、会社関連の方々が見舞いに来てくれました。
出向先、出向元、お世話になった大先輩と・・・ありがたいものです。。

10月上旬、一度最初の病院を退院します。
1日、実家に泊まって、次の病院に移りました。

次の病院では、リハビリが主体なので、まず、現状把握から始まりました。
右側、特に手足に少し麻痺が残っていること、知識の部分にも障害が出ることでした。
よって、PT、OT、言語のリハビリをすることになりました。
PTでは、歩く練習、つま先に力を入れる練習、片足に力を入れる練習が主体でした
OTでは、手と腕の運動、指先を鍛える運動、料理などもしました。
言語では、小学校レベルの言葉の練習、計算練習、パソコンの練習でした。

パソコンはできると思っていたのに、実際、キーボードを見ても、文字盤が押せなかったり、アルファベットが読めないことがあったので、1からやり直しでした。
言語やOTでは宿題をもらって病室で続きをやったり、PTの器具を借りて病室でやったりとしてました。


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