★つれづれノート★

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★hosつれづれ編★

★★2002年5月★★



5月には、GWあけには会社に行きたかったので、GW前から準備していた場所に引越ししました
新しい住処は当時は都内にしました
下記の条件で探したためでした。
・また倒れるのは不安で、一緒に住んでくれる人が欲しかったこと
・通勤先が埼玉で、病院が横浜のため中間をとりたかったこと
・一緒に住んでくれる人が、仕事の関係で交通の便が良いところが良いこと

このため、友人の極端に少なかった私は、幼馴染に一緒に住んでもらえないかと相談し、都内に決めました
二人で探せばよかったのですが、友人が忙しさに追われていたのもあり、ほとんど私だけで場所を探し、5月に私が決めて友人に報告する形になってしまいました
しかし本来、物件を見るときは、それぞれの、視点でよい面、悪い面あるので、二人で探すのが一番だと思います
このとき、交通の便のよさ、駅から平坦、近くにスーパーがあること(隣)など生活の便利さなどだけで決定してしまっていた気がします。
これは私の感性であって、友人の感性ではなかったのかもしれません

ちなみに間取りは6帖(友人)、5帖(私)、DK、バス、トイレ付き、振り分けタイプでした。
ただ、振り分けと言ってといってもベランダに出るのには6帖を通らねばならないことがありました
今思えば、6帖を使う側にとっては落ち着かなかったのかもしれません

さて、GWがあけて、古巣の職場に顔を出すようになりましたが、出戻りというのが気持ちに引っかかります
なかなか、自分から「戻ってきました」と打ち解けにいけませんでした
軽勤務扱いで後ろめたさがあったのかもしれません
3度目の古巣でもあるのか、書類のありかまで、だいたいのことはなんとか思い出せました。
しかし、倒れる近くというか、出向し始める頃の記憶になればなるほど曖昧になっていき、細かい記憶はおかしくなっていきます

最初のうちは、誰も笑って許してくれていますが、そのうち、そうではなくなっていきます
しばらくすると、すぐ上の上司と総務課長とで主治医のところに相談に行くことになります。
主治医は、記憶の曖昧さは徐々に治すものと位置づけて、完治とはいいませんでした
このとき、上司たちは先に帰りましたが、やはり悔しかったです



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